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2008年3月

2008年3月28日 (金)

説教:「怖れが隠す、言葉の意味」

聖書箇所:ルカによる福音書9章37~45節

「『この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている。』弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった(ルカによる福音書九章四四~四五節)。

苦しむ少年を癒すイエスの姿、死に渡されるイエスの姿、この二つの姿は矛盾しているのでは…?

「P2008-03-23.3g2」をダウンロード
露出を自動調節しているせいで、画面が明るくなったり暗くなったりして観難いと思います。申し訳ない。

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2008年3月19日 (水)

説教:「愛も、憎しみも、人間は知らない」

聖書箇所:コヘレトの言葉9章1節~10節

麒麟淡麗グリーンラベルのCM【新しくなってイインダヨ】篇を取り上げました。
http://www.kirin.co.jp/about/toku/ad/greenlabel/index.html

「善人、賢人、そして彼らの働きは/神の手の中にある。愛も、憎しみも、人間は知らない」(コヘレトの言葉9章1節)。

「P2008-03-16.3g2」をダウンロード

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卒園おめでとう

昨日は娘の卒園式でした。
事情があって、昨年5月に保育園から、
幼稚園に転園したのですが、
よくがんばりましたね。
いよいよ小学生か。

先週から大きな仕事に取り組んでいます。
ひとりの人が生きることの重みを教えられています。
その重みを知れば知るほど、
何もできない自分を突きつけられます。
絶句!

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2008年3月13日 (木)

説教:「トランス・フォーム」

ビデオがエンコードできない問題は解決。
Quick Timeをバージョンダウンしたらできました。
改めて投稿します。

山上でのイエスの変容の物語は、
神秘に包まれた神性を表現するものではない。
そうではなくて、
それを目撃した弟子たちの混乱ぶりを表現するものだ。
ペトロは恐れている、イエスの死と復活を。

「P2008-03-09.3g2」をダウンロード

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直前の記事について

説教のビデオが出来次第アップするつもりで、
ビデオファイルをエンコードしながら、
直前の記事を書いたのですが、
なぜかうまくできません。

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2008年3月12日 (水)

説教:「トランス・フォーム」

山上でのイエスの変容の物語は、
神秘に包まれた神性を表現するものではない。
そうではなくて、
それを目撃した弟子たちの混乱ぶりを表現するものだ。
ペトロは恐れている、イエスの死と復活を。

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2008年3月 8日 (土)

年金特別便

年金特別便
わたしの所にも来た。
やっぱり抜けてるなぁ、記録が。
訂正しないと。
ふぅ〜。

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2008年3月 5日 (水)

ディアスポラの会

体調はだいぶよくなった。

昨年の5月から「ディアスポラの会」というのを始めている。
今のところは月に1回の例会を開いている。
内容は「発達障害を考える会」といったところだろうか。

最近は、「高機能自閉症」と診断を受けた方から、
お話を聞くことが中心になっている。
「入り口」に立つためだ。

この会は、わたしにとっては
自分との違いばかりが明らかになる場だ。
別に、「わたしは決して自閉症ではない」などと言いたいのではない。
日常生活の中で障害当事者がどれほど大変な思いをしているか、
いろんな意味で鈍いわたしには、なかなか分からないのだ。

けれどもそのことを知るのは、
結構エキサイティングだ。
人間っていうのは、
理解不能な相手に出会うと、
何かを考え始める生き物らしい。

参加を希望される方は、
HPのメールデコーダから、
まずはメールください。
次回は3月29日(土)お昼から、潮江教会で。

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2008年3月 3日 (月)

入り口に立つ

まだ体調はイマイチ。

29日(金)に金子啓子さんという方の講演を聴きました。

重度の自閉症のお子さんのお母さんで、
NPO法人ケセランパセラン(http://kese-pase.org/)の理事をしておられます。

「入り口に立っている」という言葉が印象的でした。

わたしは相手の「入り口」に立っていなくて、
相手の敷地の外から見ているだけの事が多いのかも知れません。

多くの定型発達の人とは
どうやらかなり違う出入り口を持っている発達障害の方々に
何かを伝えたり、何かを聞いたりしたいと思うなら、
やっぱりお互いに出入りできる入り口を探して、
そこに立ってみないことには
何も始まらないのかも知れませんね。

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