発達支援

2008年3月 5日 (水)

ディアスポラの会

体調はだいぶよくなった。

昨年の5月から「ディアスポラの会」というのを始めている。
今のところは月に1回の例会を開いている。
内容は「発達障害を考える会」といったところだろうか。

最近は、「高機能自閉症」と診断を受けた方から、
お話を聞くことが中心になっている。
「入り口」に立つためだ。

この会は、わたしにとっては
自分との違いばかりが明らかになる場だ。
別に、「わたしは決して自閉症ではない」などと言いたいのではない。
日常生活の中で障害当事者がどれほど大変な思いをしているか、
いろんな意味で鈍いわたしには、なかなか分からないのだ。

けれどもそのことを知るのは、
結構エキサイティングだ。
人間っていうのは、
理解不能な相手に出会うと、
何かを考え始める生き物らしい。

参加を希望される方は、
HPのメールデコーダから、
まずはメールください。
次回は3月29日(土)お昼から、潮江教会で。

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2008年3月 3日 (月)

入り口に立つ

まだ体調はイマイチ。

29日(金)に金子啓子さんという方の講演を聴きました。

重度の自閉症のお子さんのお母さんで、
NPO法人ケセランパセラン(http://kese-pase.org/)の理事をしておられます。

「入り口に立っている」という言葉が印象的でした。

わたしは相手の「入り口」に立っていなくて、
相手の敷地の外から見ているだけの事が多いのかも知れません。

多くの定型発達の人とは
どうやらかなり違う出入り口を持っている発達障害の方々に
何かを伝えたり、何かを聞いたりしたいと思うなら、
やっぱりお互いに出入りできる入り口を探して、
そこに立ってみないことには
何も始まらないのかも知れませんね。

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2008年2月22日 (金)

正しい怒り方?

まだ鼻がぐずついている。
で、先日友人と話した内容について記しておこう。

例えば学校の教室で先生が怒って怒鳴りだしたとする。
怒りの矛先が自分ではなかったとして、
そんな時わたしだったらきっとこう思うだろうと思う。
「あーこわ。かんべんしてくれよ。どうでもいいけど早く終わって欲しい」
「かなり居心地は悪いが、そのうち終わるのだから、
まぁおとなしくしていよう」

ところがその友人の場合にはそうはいかないと言う。
「先生はなぜ怒っているのか?」
「先生はいつまでこうして怒っているのか?」
「先日の先生の見解とは違っているのではないか?」
「誰々さんも同じことをしていたのに、なぜ怒られないのか?」
といったたくさんの??????が頭の中を渦巻く。
しかも先生は怒っているので、
その???を素直にぶつけることはできない。
そんなことをしたら、先生はきっと余計に怒り出してしまうからだ。
いつ終わるとも知れないその状況の中に置かれていることが、
とても居心地が悪く困ってしまうのだと言う。
これも友人が自閉症スペクトラムの当事者だからなのだろうか。

一般的には、大声や怒りながらの注意は、
自閉症スペクトラムなどの当事者を
パニックを陥らせてしまうだけなので
よくないとは言われている。
だが、どうもその「パニック」の中身が
わたしのイメージとは違うように思う。
先生が怒ると怖いとか、ばつが悪いとか、怒鳴り声が耳障りだとか、
そういう感情とはどうもちょっと、もしかしたら根本的に違うらしい。

ではどうすればいいのだろうか。
友人に聞いてみた。
「『わたしはこれから5分間怒ります。
それは誰々さんがこうこうこうしたので、
こうこうこういう結果を招いてしまったからです。
5分経って先生の怒りの発言が終わったら、
みなさん自由に質問してください』
こんな風に言ってから怒ればいいわけ?」

友人の答えは、それならむしろ大歓迎だということです。
怒りの感情が、怒っている側の論理を破綻させてしまうのが、
一番の問題なのかもね。
怒り出すと矛盾したことばかり言ってしまうからなぁ、俺も。
でも、ご希望に沿うのは、かなり難しいなぁ。

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